私は旅に出た。
そこで見つけた愛のひとつ。
《ギュスターヴ・モロー美術館//エウリュディケの墓の上のオルフェウス》
パリ9区、オペラ座からも程近い閑静な住宅地にギュスターヴ・モロー美術館はある。十九世紀の画家ギュスターヴ・モローが長年暮らしていた住居兼アトリエだった建物は、現在1万4千点にものぼる彼の作品を収蔵している。
今回ヨーロッパで20の美術館を回ったが、その中でも特に私が熱望した美術館だ。モローを好きになったのは「出現」を知った時。彼の描く、宝飾のように煌びやかで、何故か切なく、夢の中に引き込まれたみたいに陶酔してしまう甘美な世界にとても心惹かれたのだ。この美術館でどうしても、ある絵に会いたかった。彼が生涯愛した人を想って描いたものだ。今回はその素晴らしい絵画に実際に触れ、彼の綴った沢山の文書を参考にして創香している。
《出現》1876年 水彩 ルーヴル美術館
モローは「神秘の画家」「パリの隠者」そんな風に評されていた。31歳から33歳までのイタリア留学時期を除けば、ほとんどフランスから外に出ることはなかった。父親が亡くなった後、耳の不自由な母親と引きこもって生活をしていたことにより、エディプスコンプレックス、マザーコンプレックス、あるいはモローの描く男性の女性的な表現描写から同性愛者だとも言われていた。
しかし近年、資料の発掘と整理が進み、彼の最愛の女性の存在が明らかになることで彼の人物像は次第に変化していく。
恋人の名 はアレクサンドリーヌ・デュルー。10歳程年下の彼女は、モローの描く”ファムファタル(魔性の女)”とはかけ離れていたようだ。「彼女は27年間変わらず、尊敬のこもったこの上なく心優しい愛情を私に与えてくれたのです」とある手紙にモローは書いている。また、2人を近くで見ていたであろう1番弟子はこう言っている。「彼女は彼にすべてを与え、彼は彼女にそのすべてを返した」。
結婚こそしなかったが、30年という長い間深い愛情で結ばれていたことは美術館の至る所にあるアレクサンドリーヌへの贈り物からも伝わってきた。
モローが自身と彼女とを描いたこの戯画は今回観ることが出来なかったが、資料で見る限り本当に可愛らしくて愛情でいっぱいだ。こんな絵を頂いたら、優しい気持ちで心はいつも満ち足りてしまうはず。
モローが 58才の時に芸術の良き理解者、敬愛してやまない母が亡くなる。とても大きな喪失の悲しみを、アレクサンドリーヌの存在がどれほど慰めたことだろう。
「私が最期の時、彼女の手が私の手にあり、私たち二人きりでいたい」というモローの願いが叶うことは無く、母の死から間もなくして、自分より先に彼女があっけなく逝ってしまう。悲しみにくれたモローはアレクサンドリーヌとの思い出がつまった部屋を永遠に閉じ、二度と立ち入ることは無かったという。
アレクサンドリーヌの思い出が詰まった部屋
さぁ、会いたかったのはこの絵だ。
《エウリュディケの墓の上のオルフェウス》
蛇に咬まれて死んだ妻エウリュディケを、オルフェウスは冥土から助け出そうとする。黄泉の国の王ハデスは地上にたどりつくまで決してエウリュディケの姿を見ないという条件で、彼女を連れ帰ることを許すが、約束に反して、地上にたどりつく前に振り返ってエウリュディケを見たために、オルフェウスは永遠に彼女を失うことになった。
前年にこの世を去った生涯の恋人アレクサンドリーヌを悼んで、モローが孤独の中で描いた作品である。この作品のデッサンには「今は亡き愛しい人の思い出に」と言う言葉と、アレクサンドリーヌ・デュルーのイニシャル"A.D"が添えられている。
大きな絵だった。
暗い色調の中の鮮やかな青なのに、とても深い悲しみを携えた色だった。
自分を重ねたであろうオルフェウスはうなだれる。もう、たった、自分きり。
自分以外何も生きていないような地上に、立つことすら出来ないでいる。
私もこの絵の中に、自分が失った人のことを想わずにはいられない。
ここが画家の家だったからだろうか?今も想いが漂っている、とそんな気がした。
画家は悲しみを乗り越える。こんな祈りと共に。 「わが神よ、私自身の向上のための努力が、私が失ったばかりの愛しい人に幸福な影響を及ぼしますように。神的なものへと向かう我が身を投げ打つ精進の生活が、こよなく愛した愛しい人に、天上の多くの喜び、平和、幸福をもたらしますように。わが神よ、あなたの御胸にこの愛しい人を受けとってください。彼女が愛し、彼女を愛した人々、彼女自身の母親、姉妹などの側でとても幸せで輝かしい永遠の命を与えたまえ」。
モローは残りの生涯をかけて、自身の芸術創造だけでなく、パリ国立美術学校の教授職を引き受け、熱心に取り組み、マティスやルオー、他大勢の生徒誰からも尊敬された素晴らしい教師でもあったと言われる。
愛する人を失う悲しみから生まれた絵画、キャンバスの裏に書き残された添え書きと、一枚の戯画に想像が膨らみ、私自身が豊かになっていった。
モローを紐解くことは、個人が作品の背後に完全に消える事を望み、画家の私的な部分を公開されるべきではないと考えていた彼に怒られてしまうだろうか?
それとも「私は見えないもののみを、ただ感じるものだけを信じる」と言っていた彼なら許してくれるだろうか?
モローはこんな風にも言っている。「ただ少しばかり夢を愛することができればいいのです。想像力の産物について、それが単純で、簡明で、素朴だからといって、分かった気になって自己満足をしてはいけません。」
私は愛を夢に見た。
夢を香りにしてあなたに示します。
もしあなたに悲しみがあるのなら、この香りがどうかその悲しみから進んでいくあなたへの餞となりますように。
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セドラ/大切に築きあげてきたもの
ブルーサイプレス/憂いの青
レモン/誠実な愛と弔い
サイプレス/いつも心に生きている、悲しみと再生
フランキンセンス/永遠に変わらずにある輝き
ミルラ/涙の一粒、乗り越える力